河野一郎に挑戦2

○大森創造君 私からこの問題の背景になるものを簡単に説明いたします。
 この交換で国が受け取っている新潟の山は、もともと興国人絹パルプの所有です。美福の所有ではないのです。興国人絹はそれを少しでも高く林野庁に売りたいと思っていた。これは私は全部物的証拠を持っておりますから。で、また貿易会社である江商は、美福に対して当時すでに元本十八億円の焦げつき債権を持っていた。その回収に苦慮していたんですよ。あなたのほうで交換をされた美福という株式会社は、これは江商が十八億円の巨額の焦げつき債権を持っていた。この背景をひとつ頭の中に入れておいてください。美福は那須の国有地で起死回生の丁もうけをして、これは全部調べましたが、何とかならないかと思って四苦八苦していた。ここで大ばくちを打とうと考えた。そこで興人と――これはもともと興人の所有ですから、美福ではないのですから、交換のためにその直前にばっと美福が江商から金を借りて自分の所有にしたんですからね。そこで興人と江商と美福の三者の利害が一致して、昭和三十六年、七年ごろこの交換の下工作が活発に行なわれた。これは長官は御存じない。興人はパルプ会社の関係から林野庁には特に近いのです。林野庁の長官は御存じない。これは江商と美福の社長の小針暦二氏は自民党の河野派と特に近い。江商の前専務植松氏は河野氏の推挙によって江商に入った。これは確実なんです。とういう関係から、江商と農林省とは特に近い。いいですか、これは否定できませんよ。美福の小針社長は春秋会に出入して、河野派と特に親しい。これはちゃんと調べました。興人は林野庁工作を側面から援助した。江商、特に植松専務は農林省に特に働きかけておるとともに、河野一郎氏を通じて間接的にもいろいろ工作をした。しかし、河野一郎氏を積極的に動かすことには至りませんで、工作は成功したとは思われなかった。私は事実を申し上げます。そこで、工作の主役は江商の植松専務から美福の小針社長に移った。小針氏は先ほど申し上げましたように春秋会に出入していた関係上、また従来から美福の役員もしていた河野派の某議員のあっせんもあって、河野派である元農林大臣に直接働きかけた疑いがあります。疑いでなくて、大体事実です。そして、その取引はすぐに成功した。その大臣はその直後美福の会長に就任されました。これを見ると、ちゃんと書いてあります。会長に就任した。これは御存じないかどうか知らぬけれども、ごらんください、会長になっております。で、この興人がまたこの取引に関係したことは、元来興人の所有であった新潟の山林が美福に所有権が移転する前から、新潟と那須の交換の話で一生懸命調査しているのですね、興人が。この一事からも大体推測ができるのです。この交換の問題に興国人絹パルプが、それから江商が相当動いたことは間違いないのです。これは関係者の話を総合しますると。そして、交換の日時が三十七年の七月十八日、交換の申請は何月何日と、全部符合するのですね。林野庁長官は以上のような事実をどの程度知っていたか、正直にひとつお答えいただきたいと思います


© Rakuten Group, Inc.